益山の紹介 歴史と由来

歴史と由来

益山市の歴史

益山は全羅北道の西北端に位置しています。
蘆嶺(ノリョン)山脈の天壺(チョンホ)山と弥勒山の東部は高くて険しく、
西北部には咸羅(ハムラ)山の山脈が連なり西部に向う丘陵とテハ川で肥沃な平
原を形成しています。

北には錦江(クムガン)を境界に忠清南道論山(ノンサン)市と扶余(プヨ)郡、
西は沃溝(オック)平野、そして南は万頃(マンギョン)江を境界に金堤
(キムジェ)平野に接しています。
湖南(ホナム)線が南北の中央を通り、益山駅を起点とする全羅(チョンラ)
線と群山(グンサン)線も南北に通っています。
湖南高速道路は東部を経て金馬(クムマ)の進入路にあり、1、
23番国道や10 余りの国道や地方道など、
全国各地に繋がる便利な交通網が整っています。

益山市は、西海と沃溝、そして金馬平野により、
母親の懐に抱かれているような形をしています。
船が動くためには物流の流通がなければなりませんが、益山市は一脈の交通の中心地として定着しています。

益山市は、全羅線と湖南線、そして長項(チャンハン)線を結ぶ交通の中心地であるため流動人口が 非常に多く、益山工団内にある国内最大の貴金属団地を訪れる観光客は年々増加しています。

益山市の由来

時代 年代 内容
馬韓時代 . · 箕子の41代子孫である準王が衛満の乱を避けて漢の地に入り馬韓を築いた(54ヶ国中の1つである乾馬国)。
百済時代 . · 温祚王が馬韓を併合し金馬渚と呼んだ。所力只県、只良肖県、甘勿阿県があった。
新羅時代 . · 景徳王16年の行政区域と地名の変更により、沃野県が金馬渚の領県となった。
高麗時代 995 · 高麗時代の初期には全州に属したが、忠宜王5年(1345)に郡が州に昇格し益州と呼んだ。
· 成宗14年に行政区域を改編し、地方を10道に分けその下に   州・府・郡・県を設置した。益山は江南道と呼ばれたが後に
金馬郡と改名された。
朝鮮時代 1413 · 太宗13年に行政区域が8道に整備された。全羅道は1府(全州)4牧7都護府12郡31県を置いた。その12郡中の1つを益山郡と呼んだ。
日帝時代 1911. 8 · 益山郡庁を金馬から南一面に移した。
1914. 3. 1 · 府令第111号(1913.12.29公布)による府郡の廃合で、咸悦県、竜安県、礪山郡が併合され益山郡となった(1邑17面)。
1914. 10. 1 · 朝鮮総督府の地方官制公布(1910.9.30)の行政区域の改編により、郡の統廃合の際に南一面と東一面が合併され益山面となった。
1931. 4. 1 · 府令第103号(1930.12.29公布)の地方制度の改正により、益山面が益山邑に昇格した。
1931. 11. 1 · 益山邑を裡里邑に改称した。
1933. 12. 1 · 裡里邑を12町に分け、終戦と共に洞に名称を改称した。
政府樹立以降 1947. 4. 1 · 法律第3号(1947.5.27公布)の地方自治法の施行により、裡里邑が府に昇格し益山郡から分離した。
1947. 11. 8 · 軍政法令第152号(1947.10.29公布)により、益山郡北一面慕仁里と五山面木川里及び松鶴里の一部を編入した。
1949. 8. 15 · 法律第32号(1949.7.4公布)により、裡里府が裡里市に改称された。
1951. 7. 1 · 行政機構の強化により17洞から25洞に分割された。
1961. 7. 1 · 裡里市の洞を整理し12洞に改編した。
1963. 1. 1 · 法律第1172号(1962.11.21公布)により、益山郡皇華面が忠清南道論山郡に編入された。
1970. 7. 1 · 裡里市南中洞を南中1街洞と南中2街洞に分けた(13の行政洞)。
1970. 7. 15 · 益山郡条例第206号(1970.7.1公布)により、竜安面に竜東出張所を設置した(16面1出張所)。
1973. 7. 1 · 大統領令第6542号(1973.3.12公布)により、金堤郡白鴎面三亭里の一部が木川洞と銅山洞に編入された。
· 益山郡王宮面温水里の一部が完州郡に、五山面木川里、南田里、新池里の万頃江の南側一帯が金堤郡に編入された。
1974. 7. 1 · 大統領令第7161号(1974.5.25公布)により、益山郡北一面の一帯が裡里市に編入された(行政洞16、法定洞20)。
1979. 5. 1 · 大統領令第6409号(1979.4.7公布)により、咸悦面が邑に昇格した(1邑14面1出張所)。
1979. 7. 10 · 益山郡条例第442号(1978.4.4公布)により、郡庁舎を裡里市から益山郡咸悦邑瓦里山62番地に移転した。
1983. 2. 15 · 大統領令第11027号(1983.1.10公布)により、益山郡八峯面の一帯と春浦面石灘里が裡里市に編入された。
1986. 4. 1 · 大統領令第11874号(1986.3.27公布)により益山郡竜安面竜東出張所が竜東面に昇格(1邑14面551里に分里)した。
1990. 1. 1 · 裡里市条例1238号(1989.12.22公布)により、北一洞を北一洞と新洞に分けた(19の行政洞)。
1993. 11. 8 · 裡里市条例第1441号(1993.11.8公布)により、松鶴洞と木川洞の一部が平和洞に編入された。
1994. 12. 1 · 裡里市条例第1488号(1994.12.1公布)により、仁和洞と銅山洞、昌仁洞と松鶴洞、於陽洞と富松洞の一部が行政区域として調整された。
1995. 5. 10 · 法律第4948号(1995.5.10公布)の「京畿道平沢市などの5つの都農複合形態の市の設置などに関する法律」により、裡里市と益山郡を統合して益山市を設置した。
· 益山市条例第155号(1995.5.15公布)により、益山市咸悦出張所を設置した(1邑7面を管轄)。
1996. 1. 1 · 益山市条例第165号(1995.12.26公布)により、春浦面大場村里が春浦面春浦里に改名された。
1996. 7. 10 · 益山市条例第204号(1996.6.29公布)により、北一洞が永登洞と於陽洞に分けられた。
1998. 2. 2 · 益山市条例第251号(1997.10.20公布)により、昌仁洞、中央洞、葛山洞を中央洞に、平和洞、木川洞を平和洞に、珠峴 洞、仁和洞を仁和洞に、南中1街洞と南中2街洞を南中洞に、永登洞と於陽洞を管轄区域の調整により産業道路の北側を於陽洞、南側を永登洞に行政運営洞を変更した(統廃合)。
1998. 10. 9 · 益山市条例第437号(1998.10.9公布)により、新洞、啓文洞を新洞に、於陽洞と永登洞を永登洞に、新興洞を管轄区域の調整により金江洞を銅山洞に、新興洞を八峯洞に行政運営洞を変更した(統廃合)。
· 益山市条例第422号(1998.10.9公布)により、益山市咸悦出張所を廃止した。
2003. 2. 4 · 益山市条例第662号(2003.2.4公布)により、永登洞を管轄区 域の調整により産業道路に北側一帯を永登1洞、産業道路の南側一帯を永登2洞、於陽洞一帯を於陽洞に分けた。