익산의 하루(통계그림)

ホ―ム > 文化観光 > 文化財

文化財

全羅北道文化財材料の第88号南原寺彌勒殿
  • 彌勒殿は末世に現れ 釈迦牟尼が助けられなかった衆生全てを助けるという彌勒仏を 奉る殿閣である。彌勒殿の前には5層石塔が建てられているが、全体的に破壊が酷くて原型を失われている。址臺石もなく塔身 1階だけで2階と3階の塔身は自然石を載せて不思議な姿をしている。 彌勒殿の中に石佛坐像が方形台座に結跏趺坐しているが、欠失したことを補修して 安置した。
  • 所在地 : 礪山面濟南里 224
  • 文化財指定番号 : 全羅北道文化財材料第88号
全羅北道記念物第6号、李秉岐先生生家
  • この宅は国文学者で詩調作家の伽藍李秉岐(1891~1968)先生が生まれ育った所である。朝鮮末期の士 (学徳がある人)の家屋配置に従って大家、舍廊、壺屋、あずま等が残っている。 知恵を隠して表に馬鹿らしく行動するという意味を持って‘守遇齋’という舍廊名から 国と民族を愛し一生を一筋通して士として生きてきた李秉岐先生の趣がしみじみと感じられる。
  • 所在地: 礪山面源水里573
  • 文化財指定番号 : 全羅北道記念物第6号
全羅北道文化財資料第87号深谷寺大雄殿
  • 以前あった大雄殿は1819年(純祖19)が造った前面 3間、横面 2間に切り妻屋根 の重軒をした建物だったが、1986年崩して今のような大雄殿に建て替えた。建物は二翼工形式で、重軒 に八角屋根をしていて、2分閤門が各間に付けられている。
全羅北道文化材料第86号龍安鄕校大成殿
  • 益山市龍安面校洞里にある龍安鄕校は小說位で、大成殿には中国の 5聖人と4賢人、そして韓国の18賢人を配享している。
龍安鄕校歴史
  • 伝えられてくる話によると、元々龍安鄕校は高麗時代の恭讓王3年(1391年)に現在の龍安鄕校がある所から約600mくらい離れた、今の龍安面中新里に初めて建てられたのを朝鮮 太宗 16年(1416年)に今の位置に移し建てたという。1927年頃火事が発生して大成殿だけ残って他の全ての建物が燃えたので、その場所に龍安小学校が建てられるようになったそうだ。
  • 所在: 龍安面校洞里163-1
  • 文化財指定番号: 全羅北道文化財材料第86号
日帝強占期家屋‘金晏均家屋’
  • 全羅北道益山市咸羅面咸悅里にある金晏均家屋は1986年 9月 8日に全羅北道民族資料第23号に指定された。日帝強占期の伝統的な上流層家屋の移り変わりが見られて朝鮮末期の兩班家屋形を基本に構想と建築意匠に日本式手法が加わった。 日帝強占期家屋‘金晏均家屋’ この家の建築年は古くなってないが、規模からみると全北では一番大きい家屋である。 規模だけではなくて使われた一つ一つの部材やこれを切ったり手入れをするのに手を掛けたことから色々な贅沢に溢れている家屋なので、それぐらいのお金が入った家屋も全国でも珍しいことである。
  • 所在地: 咸羅面咸悅里457
  • 文化指定番号:全羅北道民族資料第23号
金大建神父を記念するために建てられた羅岩聖堂(華山天主敎會)
  • 羅岩聖堂は朝鮮顯宗 11年(1845年) 金大建神父 が中国で사제 敍品を貰って、Ferreol主教とDaveluy神父と一緒に凰山津に上陸したことを記念するために建てた。 韓国天主敎會で聖地と指定した所で、この建物は天主敎の韓国輸入と発展過程をみる時に欧米式聖堂建築様式と韓国式建築様式が上手く折衷され調和を成してりう初期の聖堂建物である。この歴史性と建築様式によって羅岩聖堂は国家文化財(史的 318号)に指定されている。
羅岩聖堂見所!
  • 羅岩聖堂は国内天主敎の聖地らしくこれによる見どころが沢山揃えている。一番目、金大建神父の殉教碑である。 金大建神父の殉教碑は金大建神父の殉教100周年に建てられた。二番目、希金亭がある。希金亭とは‘美しさを願う’という意味で 1915年モ―テル 神父が初代大旧教長 主教を記念するために建てたいた
  • 所在地: 1158-6 Hwasan-ri, Mangsung-myeon
  • 文化指定番号 : 国家指定文化財(史的 318号)
新しく生まれた統一新羅時代の古刹、文寺殊
  • 文寺殊は忠淸道から全羅道に入る頭部分の礪山面 天壺山にある。昔から天壺山は文殊菩薩・普賢菩薩・觀世音菩薩の 3代菩薩の聖地でその 威厳が凄かった、 文寺殊はこの中で衆生の煩悩と苦しみを解消して書院に明るい知恵への光を与える文殊菩薩の聖地である。
文寺殊近隣観光地
  • 文寺殊の近くには 益山市で一番大きな古刹の白雲寺がある。
  • 所在地:礪山面壺山里 69
  • 文化財指定番号 : 全羅北道文化材料 第85号
孔子を配享する所、咸悅鄕校大成殿
  • 咸悅鄕校は 咸羅面咸悅里に咸羅山をせにして東南に向けて位置している。 この郷校は小說位で大成殿で中国5人聖人と 4人の賢人、韓国の 18賢人配享している。
咸悅鄕校の歴史
  • 咸悅鄕校を案内する本によると、朝鮮時代世宗19年(1437年)に咸悅鄕校が甘勿阿縣(現在の 龍山)に建てられたと記されていて、朝鮮宣祖24年(1591年)今の咸羅から約 1km離れている金谷に移転したが、壬辰倭乱で全ての建物が燃えなくなったという。
  • 所在地: 咸羅面咸悅里 579
  • 文化財指定番号 : 全羅北道文化財材料第85号
登録文化財第178号 益山区梨里農林学校畜産課 教師
  • 益山区梨里農林学校畜産課の教師は全羅北道益山市馬洞にある旧学校の建物である。ここは 2005年6月18日に登録文化財第178号に指定された。当時、梨里農林学校畜産課の教師として唯一に残っていたことから象徴的な価値がある。
全北大学の益山キャンパスで一番古い建物
  • 益山区梨里の農林学校畜産課の教師は全北大学の益山キャンパスで一番古い建物で見ていても80年を遡る時間旅行に旅立つ感じがする。
益山旗歲拜
  • 益山旗歲拜は全北地方の代表的な民族遊びの一つである。旗歲拜は農耕文化を代表する遊びとして昔馬韓と百済時代から伝えてくるお正月の満月の民族遊びである。 金馬12コの町が一つの場所に集まって農耕神様に豊年を祈り、童心と連帯感を高めることに目的がある。 <出所:文化観光課、益山文化院>
  • 所在地: : 金馬面東古都理 631
  • 文化財指定番号 : 地方無形文化財第25号
益山益山木
  • 益山益山木─は益山地域で伝えてくる民謡としてしょいこを担いた木こりたちが 杖でしょいこの脚の松葉杖を叩きながら読んでいた歌である。 益山木─とは、山打令、負荷歌、しょいこ杖歌、杖打令、相思歌 など 6曲を一つに纏めた歌の名称という。 益山木─は木こりたちが重もい荷物を担ぐ時、軽い荷物を担ぐ時、空しょいこから出る時などによって歌が違うので、色んな曲調の長短がある。 <出所:文化観光課、益山文化院>
  • 文化指定番 :地方無形文化財第1号
a