常設展示室
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百済の王宮

王宮里遺跡展示館は5つのテーマで構成されており、順路に沿ってご観覧ください。

⑤ 百済の王宮

  • ここでは百済の王宮に関する記録や、これまで調査された百済王宮遺跡と地域の変遷過程を説明しており、マジックビジョンやゲームを通じて宮城の建築過程を楽しく分かりやすく理解することができます。 百済の王宮に関わる遺跡は、ソウルの風納土城、公州の公山城、扶余の官北里遺跡、益山の王宮里遺跡などが知られていますが、益山の王宮里遺跡を除けばまだ具体的な実体が確認されていない状態です。百済初期の首都として知られるソウルの風納土城は、1964年の試掘調査以来、1996年から持続的に調査が行われましたが、遺跡の一部だけが調査され、百済の王宮は見つかりませんでした。ただ、平面六角形の大型建物跡や道路、池跡、井戸など、王宮の附帯施設が確認されました。
  • 最近、公州の公山城の城内村の調査で、前面に広場がある建物とともに、複数の壁柱建物跡が確認され、王宮である可能性が提起されている状態です。扶余首都期については扶蘇山城の下にある官北里遺跡一帯を長い間調査していますが、王宮里遺跡で確認された正殿建物跡のような土深積心の大型建物跡や工房跡、道路、木槨、水槽、倉庫、貯蔵用窪みなどが確認されたものの、大型建物跡が遺跡の中心から外れているため、王宮の中心建物とは考えがたい状態です。一部では現扶余女子高等学校の敷地に王宮跡があるとして、調査の必要性を提起しています。
  • 益山の百済王宮跡である王宮里遺跡からは、王宮の外郭境界を成す幅3mの塀施設と、南側の塀とつながった3ヶ所の門跡、塀内の正殿建物と見受けられる大型建物跡を含めた15棟の建物跡と庭園、後苑遺跡などが確認されました。王宮里遺跡の王宮は百済武王時代の王宮とされ、百済のものとしては初めて確認された王宮跡です。
百済の王宮 01 百済の王宮 02
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